J.R.ジャヤワルダナ大統領の慈悲の心と、世界に屈しない勇気により、今の日本があると言っても過言ではありません。
ジャヤワルダナ大統領のサンフランシスコ講和会議における演説は戦勝国の代表の心を打ち、日本占領に対する考えを変えました。アメリカやイギリス、ソ連(ロシア)・中国からの分割占領を回避、そして、日本が国際社会に復帰する道すじをつくったと言われています。条約締結後、世界でいち早く外交関係を結んだのがスリランカだったのです。
J.R.ジャヤワルダナ大師(ブッダ)のメッセージ、「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」とし、第二次世界大戦後の対日戦後賠償を慈悲の心で放棄してくださいました。日本がアジア緒国民の中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあり、日本に最後まで好意を抱いておりました。
ジャヤワルダナ大統領は、1995年、死去に際し献眼、角膜提供をされ、「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」との遺言により、片目は日本に贈られました。私たちは、今こそ真の歴史を学び、再認識し、正しい真実を後世まで伝えて行かなければなりません。現在、日本にいらっしゃるスリランカの方々と力を合わせて、偉大なJ.R.ジャヤワルダナ大統領の栄誉と功績を称えていきましょう。
敗戦後「四カ国からの分割占領の危機」という日本国の最大のピンチを救ったのが、サンフランシスコ講和会議におけるジャヤワルダナ大統領の演説であったことは決して過言ではないでしょう。しかし日本ではその事実と同氏について、ほとんど知られていない現実があります。私は大統領の生前、何度となく謁見させていただき、その人柄・言動をつぶさに心に刻んできました。日本を救ってくれた氏の功績を語り継ぎ、後世に伝えていくこと。それが日本人としての恩義であり、使命であると私は考えます。